†「百人隊長を変えたもの」
3月 7, 2010
礼拝メッセージ
聖書:使徒27:27-44
導入 聖パウロ海岸
地中海のイタリヤと北アフリカの間にマルタ島という小さな島があります。この島の北東部に「聖パウロ湾」と呼ばれる入り江があります。
今日の聖書箇所でパウロたちの船が座礁し、全員が上陸した場所が、この聖パウロ湾だと言われています。今ではマルタ島でも有数のリゾート地になっているそうですが、かつては小さな漁村であったそうです。
このようにある人物の名前が地名として残っているということは、聖書に登場する物語りであるというだけでなく、その人自身が周りの人や歴史に大きな影響を与えたということです。
私たちの多くは、歴史に名を残そうという大それた野望を持っているわけではないと思いますが、好むと好まざるとに関わらず、周りの人たちに影響を与えている者です。
「いやいや自分は空気のような存在になってひっそり息を殺している」そんな信仰生活を送っている方もたまにいますが、そのようにしていても何もしないこと、何も語らないことによって与える影響もあるのです。
ですから、私たちクリスチャンにとって問題なのは、影響を与える人物になるかどうかではなく、良い影響を与える者になるかどうかです。主は私たちは「地の塩、世の光」だとおっしゃいました。であるなら、塩気のある塩、照らすことのできる光である方がいいに決まっています。
1 一貫した信仰
第一に人に良い影響を与えることができるのは、一貫した信仰です。
いついかなる場合でも変わらずに神を信頼し、神を恐れ敬う信仰の姿勢が人に良い影響を与えます。
嵐に遭遇して2週間が経ちました。やがて水夫たちが陸地が近いことに気づきます。ある古い写本には「陸地が反響していたことに気づいた」とあるそうですが、恐らく波が岩に打ち付けたり、陸地に寄せては返す独特の音が聞こえたりしたのでしょう。
それでも太陽も星も見えない状況が続いていますから、自分達がどこにいるか、陸地にどれくらい近づいているかも分かりません。
飛行機も離陸と着陸が一番神経を使うそうですが、船も陸に近づくことには気を遣います。陸が近いということは助かる可能性があるということですが、とくに海が荒れていて自分達の位置が分からないとあっては、浅瀬に乗り上げたり座礁して船が沈没してしまう危険性もありました。
水夫たちが時間をおいて水の深さを測ると、40m、30mと確かに浅瀬に近づいているのが分かります。
そこで碇を下ろし、夜明けを待ちました。
しかしこの時事件が起こります。何人かの水夫たちが船のへさき、つまり前の方の碇を操作する振りをして、小舟を下ろして逃げだそうとしているように見えたのです。
パウロは百人隊長に警告しました。
パウロは水夫たちの脱走は他の人たちの救出にとってマイナスになると考えました。神が全員を助けると約束されたことを信じていましたので、なによりもそれは避けなければなりません。
警告を聞いた兵士たちは小舟を縛っていたロープを切ってしまいます。これは、後で困った事になるのですが、とにかく、水夫たちの脱走を阻止することはできました。
その後で夜が明けかけた時、パウロは人々に語りかけ、励まし、食事を取るよう勧めます。
2週間、絶食状態であったのか、人々が自分の信じる神に願を掛けて断食していたのか分かりません。まったく食べなかったというよりは、まともに食事をしていなかったということかも知れません。
しかし、とにかくパウロは必ず助かるという確信をもう一度示し、34節では「あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません」と強調しています。
それから彼がいつもやっているように天地を造られ嵐の中で救出を約束した神に感謝し、パンを分け合って食事をしました。船には乗組員、兵士、囚人たちを合わせて276名の人々いました。
すでに嵐から2週間、神の約束が与えられてからも10日以上経っています。陸地が近づくにつれて希望とともに危険が迫り、水夫たちも焦りの色を隠せない時、パウロは神への信頼を変えることはありませんでした。
2 周りの人々への貢献
第二に、人に良い影響を与えるのは、周りの人々に貢献する姿です。
自分の分を果たし仕える人であろうとするその姿が、変わらない信仰と相まって周りの人に良い影響を与えます。
嵐の中でパウロのとった行動や発言を見れば、彼が人々のために執り成しの祈りを捧げ、神の約束を信じて行動していたことが分かります。
前回見た通り、嵐に遭遇して間もなく、夜中に御使いが表れて神の言葉を告げられた時、その表現からパウロが乗船している人たちが助かるようにと執り成しの祈りをしていたことが伺えました。
その約束に基づいて彼は人々を励まし、元気を出すようにと語りかけています。
さらに水夫たちが脱走を図ったように見えた時も、すぐに百人隊長たちに知らせて脱走を防ぎました。水夫たちは苦労して船に縛り付けた小舟をほどいて船から下りようとしていたので、兵士たちは小舟を切り離してしまいます。
このために、後で船が座礁したときに小舟を救命ボートとして使えなくしてしまったのはパウロの責任だと考える人もいます。
私はパウロの判断ミスというより、脱走を図る水夫たちとそれを阻止しようとする兵士たちの争いの途中でやむを得ず、あるいは事故でロープを切ってしまい、結果的に小舟を失うことになっただけだと考えています。
そう考えると、パウロも人々を助けるために一生懸命やりましたが、全部を上手くできたわけではなかったということに、少しほっとするような気もします。
パウロの貢献は、さらに人々に食事を勧め、励ますところにも見られます。
先ほども少しみましたが、食事を勧めるパウロの言葉には、2週間も嵐と格闘し続けた人々に対する思いやり、神が救ってくださることへの揺るがない確信が見られます。
しかもパウロは、彼がいつも食事のたびにしていたのと同じように、一同の前で神に感謝を捧げ、それからそれを裂いて皆で食べました。
食事の感謝の祈りを捧げる、というクリスチャンにとっては一種の習慣になってしまっていることも、こういう状況では特別な意味があります。
波に揺れ、座礁の危険が頭から離れない人々に、今一度「必ず助け出す」と約束した神の存在を考えさせます。そして出航前に警告を発し、嵐の中で助かることを予告し、水夫たちの脱走を食い止める活躍をしたパウロが信じている神について考えさせることになったはずです。
人々はパウロに励まされて、食事をとり、元気を取り戻しました。それから気持ちを切り替えるかのように、全員脱出を目指して行動を始めました。残っていた積荷を投げ捨て、可能な限り船を軽くし、座礁を避けようとしました。そして、何とか浜に船を乗り入れようとするのです。
3 百人隊長の変化
第三に、パウロの一貫した信仰と、人々のために貢献する姿が百人隊長に良い影響を与え、彼の心を変えました。
最後の食事をし、積荷を全部捨てて一夜を過ごしたあと、夜明け頃にどこかの砂浜がある入り江が見えてきました。後に聖パウロ湾と呼ばれる湾だと言われています。
39節「できれば、そこに船を乗り入れようということになった」というのは、海面の下に隠れた岩などを避け、砂浜に船毎乗り上げてしまおうということです。救助用の小舟は流されてしまったので、これが最善の方法でした。
そこで碇を切って捨て、それから固定していた舵の綱を解いて方向を調整できるようにし、帆を上げて砂浜に向かって進み始めました。
慎重に進めたはずですが、ちょうどこの入り江は潮流が流れ合う場所で、たまりのようにできた浅瀬に乗り上げ、座礁してしまいました。
舳先が浅瀬にめり込み、打ち寄せる波で船の後ろの方が壊れはじめました。
おそらく浸水が始まり、船体がバラバラになって沈没するのは時間の問題となってしまったのです。
岸は目の前ですから、泳げば助かりそうな位置です。ところが、その時兵士たちは囚人たちが勝手に泳いで上陸し、そのまま脱走してしまうことを恐れました。しかもそれは大いにあり得ることだったのです。目の前の砂浜からちょっと奥に逃げ込まれたら捜索は困難です。
そこで逃がしてその責任を問われるよりは、いっそのこと舟の上で殺してしまおうと相談し始めたのです。
けれども、ここで百人隊長がその計画を押さえ込みます。43節にその理由が書かれています。「パウロをあくまでも助けようと思って」
囚人たちを監督しながら二百名以上の人々の救出を実現するのはなかなか難しいことだったはずです。現代ほど囚人の人権が考慮されない時代でしたから、兵士たちが考えたことも無理からぬことでした。
しかし百人隊長は、出航前から今に至るまでのパウロの言動を見て、なんとか助けたいと思わされました。しかもパウロを助けるだけでなく、パウロが言ったように他の囚人も含めて助けることを選びました。
百人隊長は囚人たちを信頼し、泳げる者は自力で岸まで向かわせ、他の者は板きれなど浮かぶ物につかまらせて岸まで向かわせました。囚人たちも百人隊長の信頼に応えるかのように、逃げ出したりすることなく岸で待ちました。あるいは、彼らもこの嵐からの救出という出来事全体の背後に、パウロの信じる神の存在を感じ取っていたのかもしれません。
こうしてパウロが預言した通りに、船に乗っていた276人全員が救い出されました。このような奇跡が実現するために必要な百人隊長の判断は、確かにパウロの信仰と行動に影響を受けたがゆえのものでした。
適用 良い影響を与える
どんな立場であれ、どんな形であれ、私たちが誰かに良い影響力を持ちたいと思うなら、暴力や悪知恵を働かせて他人をコントロールしようとするのではなく、あるいは泣き落としや脅しによるのではなく、パウロが示した方法に従うべきです。特に、福音を伝え信仰を持って欲しいと願う相手に対してはこのことがとても大切です。
自分自身がどんな状況におかれても変わらずに神に信頼すること。その神への信頼を、自分の役割をしっかり果たし周りの人たちに貢献するような行動で示すことです。
パウロはローマへ行くという自分の使命を果たすことをいつも念頭に置いてはいたと思います。しかし、裁判を受ける身で、兵士たちに取り囲まれて護送されている囚人という立場です。彼にできることはほとんどありません。
危険だと思っても百人隊長が船長や航海士の言うことを信じて出港するとなれば従わざるを得ません。犯罪者として判決を受けたわけではないにしても扱いは囚人と同じです。意見を言うことくらいは出来ましたが、百人隊長の判断に影響を与えることなどできません。
しかし、彼が危険だと警告したその通りの嵐の中で船の人々のために祈り、神の答えを聞き、人々を励まし、脱走を図る水夫たちの企みを阻止し、人々の労苦を思いやって食事を勧め、感謝の祈りを捧げ元気づける。その一連の姿の中に、変わらない神への信頼と、自分にできることをもって周りの人に貢献しようとする姿が見えました。
「はじめに言ったのに」と拗ねて何もしない、あるいはまるで仕返しするかのように嫌々そうに協力する、というのも良く見られる反応の仕方です。
預言者ヨナは神のみこころに逆らって逃げ出し、自分が神に仕える者であることを隠して船の底に隠れました。そんなふうに、家族や職場、友人関係の中でクリスチャンらしさをひた隠しにする人もいます。
どのような反応の仕方をしても、それが結果として何らかの影響を与えます。クリスチャンでわがまま奴だと思われるかも知れないし、口では偉そうな事を言うけれどたいしたことないと思われるかも知れません。信仰なんてあってもなくても何も変わらないと思わせるかも知れません。
どっちにしても私たちの行動が影響を与えるのです。であるなら良い影響を与える者になりたいと思います。特に、親子関係や夫婦関係の中では、良い影響を与えられるかどうかが、信仰の継承や信仰を持たない伴侶への証しにとって決定的に重要な役割を果たします。
自分の振るまいが夫や妻、子供たちにどんな影響を与え、彼らに神について信仰を持つことについてどんなメッセージを伝えることになっているでしょうか。よく思い巡らしてみる必要があります。そして今からでも、変わらない神への信頼と、それがゆえに自分の役割をしっかりと果たして家族や周りの人に貢献する者となりましょう。塩気のある塩、周りを照らす光、良い証人となりましょう。
祈り
「天の父なる神様。
私たちは地の塩、世の光となるようにとこの世に遣わされています。私たちが置かれた場所である家族や職場、友人関係の中で、どのような影響を与えてきたのか考えさせられます。
私たちの行動が信仰について神について躓きを与える者ではなく、願わくは、良い影響を与える者であらせてください。
そのために、私たちはいつどんな状況におかれてもあなたご自身に信頼し従う者であらせてください。そしてあなたを信頼するが故に、私たちが仕えるべき人たちの間で、自分の役割をしっかりと果たし貢献する者であらせてください。
時間と忍耐が必要なものです。知恵も必要です。どうぞ私たちに必要な力と知恵をあなたの約束に従って与えてください。
そうして私たちが良い影響を与える、地の塩、世の光、良い証し人であることができるように助けてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。」
(C)Masaki Sasaki
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