†「人生の海の嵐」
2月 28, 2010
礼拝メッセージ
聖書:使徒27:1-26
導入 旅に喩える人生
松尾芭蕉は『奥の細道』で「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」と歌っています。芭蕉の場合は旅が人生そのものでしたが、いつから人は人生を旅や海を渡る航海に例えるようになったのでしょうか。
四国のお遍路さんを引き合いに出すまでもなく、世界中の様々な巡礼の旅に自分の人生を重ね合わせる人が数多くいます。
しかし、使徒の働きの中でパウロがローマへ向けて出発した航海の物語りは、一体どういう目的で書かれたのでしょうか。こんなに詳しく航海の旅を記した割には、カイザルの前で証言したことについては全く触れていません。
使徒の働きを書いたルカは、何らかの意図、目的をもってこの航海のためにページを割いたことに間違いはありません。
難船という極度のストレス状態の中でパウロがどのように信じ、振る舞ったかを生き生きと描くことによって読者が直面している厳しい状況に重ね合わせることができるようにと意図したのではないでしょうか。
つまり、これまで総督フェストやアグリッパ王の前で弁明してきた信仰の内容と共に、実際のパウロの生活の中でその信仰がどのように生きて働いていたかを示すために、この航海が描かれたように思えるのです。
1 旅の仲間
まず最初に、パウロのローマへの旅の仲間に目を向けていきましょう。
私たちの人生という旅路にも多くの連れがいるように、パウロの旅にも連れがいました。その中には友だちとは言えないような人たちもいました。
まず1節で「私たちが」と出て来ます。これは使徒の働きを記したルカ自身が目撃者として書いている印ですので、ローマへの旅にはルカが同行したことが分かります。
また、同じ1節からは他の数名の囚人たちがいたことがわかります。どんな犯罪を犯した人たちであったかは分かりません。
また「ユリアスという親衛隊の百人隊長」が囚人たちの護送団長として乗船したことが分かります。この「親衛隊」というのは他の日本語訳では「近衛隊」とか「皇帝直属部隊」とされています。もともとの言葉は「アウグスト隊」という部隊名を表すもので、皇帝を護衛する部隊という意味ではなかったようです。イタリヤ以外の地域で徴募に応じた兵士たちによる大隊に、皇帝アウグストの名前がつけられたのです。
それはともかく、「テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行」しました。
アリスタルコは以前も出て来た人物です。エペソの町で銀細工人デメテリオが騒ぎを起こしたときに、ガイオとともに町の人たちに捕らわれたのが彼でした(19:29)。
その騒ぎの後、20:4で、パウロが諸教会の献金をエルサレムに届ける旅の同行者リストの中にもアリスタルコの名前が出て来ます。
もちろん、このほかにも船長や航海士、そして船員たちが相当数いたはずです。
パウロは一応囚人扱いであり、百人隊長による監視付ではありましたが、少なくともルカやアリスタルコといった心を許せる友人、同労者がいました。
もちろん閉ざされた空間である船の中には敵とまではいかなくとも、監視する側の百人隊長がおり、どういう人たちか分からない囚人たちがいました。
私たちは自分の人生に関わる人を全部選べるわけではありません。ましてや心を許せる人、すてきな人たちとだけ歩んでいけるわけではありません。
パウロの船旅もまた同じように、数名の友人の他はまことの神も知らない人々であり、しかもそのうちの数人は犯罪者でもありました。
これがパウロの旅路の連れであり、好むと好まざるとに関わらず、彼らとの関係の中で生活するのです。
当たり前のことですが、私たちの信仰生活とは、同じ信仰を持つ人々と一緒に過ごすよりも、信仰とは無縁の人、むしろ疑う人、批判的な人との関わりを持つ生活の場でこそ問われるものだということをあたらためて思い出す必要があります。
2 警告と嵐
次に、カイザリヤからの船旅に目を移しましょう。
27章のメインイベントである嵐による難破へと、どのように向かっていったのかが分かります。
カイザリヤから出港した船は、翌日シドンに入港しました。ここで百人隊長がパウロに親切心を見せています。
シドンにいる主にある友人たちに会いに行ったり、食事のもてなしを受けることが許可されたのですから、パウロも大いに励まされたことでしょう。
それからさらに向かい風をかわすように、キプロス島の島影、具体的にはキプロス島の北側の海岸線沿いを、海岸から沖へと吹く夜風を利用して航海を続け、ようやくルキヤ地方のミラという港に入港しました。
ここでイタリヤ行きの船に乗り換えましたが、なおも風のために船の進みは遅く、おそらく予定よりも遙かに遅れていましたが、ようやっとの思いで、クレテ島の「良い港」と呼ばれる小さな入り江に避難したのです。
9節を見ると、「断食の季節」もすでに過ぎていたということが記されています。これはユダヤ教の「贖罪の日」という祭りの事を指しています。この時期は航海が危険とされる期間に一致しています。
もっと後の時代の帆船は向かい風でも前進できるように造られていましたが、当時はだめでした。これまでの航海も強い向かい風に悩まされ続けて来たので、これからの季節を考えれば非常に危険な船旅になるのは確実です。
そこでパウロは10節にあるように、はじめて旅について意見をします。パウロの警告は当時の航海では常識的な判断と言えます。それ以上に聖霊の預言があったのかは分かりません。
しかし、百人隊長はパウロの言葉に耳を貸すより、航海士や船長の方を信用しました。これは当然といえば当然のことかもしれません。
ここで問題になっているのは、イタリアのローマを目指すかではありません。海岸沿いに船を進め冬を越すのに適した港に移動するかどうか、ということだったのです。そして船主である船長も航海士も、また他の大多数も移動に賛成しました。その程度ならなんとか行けるのではと考えたのでしょう。しかしこの判断ミスが災難の元でした。
穏やかな南風が吹いてくると、このときぞとばかりに帆を張って出港しますが、まもなく暴風雨に見舞われます。
16節から19節は暴風雨に見舞われた場合の通常の対処が行われています。牽引していた小舟を本船にしばりつけ、座礁を防ぐために船具を外し、さらにはバランスを取るために積荷を捨て、最後には外しておいた船具まで捨てて、あとは漂流に任せるしかありません。
そして20節にあるように、絶望的な雰囲気が船全体を覆い始めていました。
人生の海の嵐においても、やれるだけのことはやって、もう手がなく、絶望的な気分になることがあります。
3 神への信頼
しかしここでパウロが人々の前に立って語りかけます。
27節を見ると、良い港を出てから2週間近く経っていることがわかります。
つまり彼らは十数日の間、ずっと暴風雨に晒され続けていたということです。私たちのように内陸に住んでいる者にとって、暴風雨は家の中でじっとしていればそのうち過ぎ去ってくれるものですが、船の上では、その間じゅう雨に打たれ、風に流され、何メートルもの落差のある波に揺られ通しです。それが何日も続いたのです。
引っ張っていた小舟を引き寄せようと皆で格闘したり、帆をたたんだり、荷物を運び出したり、水を掻き出したりと嵐の中で船と我が身を守るためにやるべきことは幾つもありました。その上、いつ終わるともしれない嵐の恐怖は絶えず彼らにのしかかりました。
そういう状況で、誰も食事を取ることさえできなかったとしても不思議ではありません。
パウロは港を出る前に皆に警告したことを思い出させました。しかし、それは自分に先見の明があることを強調するためとか、優位に立とうというわけではありません。
パウロは自信をもって皆を励まし、元気を出すようにと勧めます。船は失われるけれど、乗っている人は誰一人としていのちを落とすことはないと断言します。
その自信は、常識的な判断によるのではなく前の夜に御使いが告げたことばに基づいていました。
パウロがカイザルすなわち、ローマ皇帝の前で信仰を証しするということはすでに何度か示されていました。
19:21「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。」
23:11「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。」
かつて示された神のご計画のゆえだけでなく、前の晩に御使いが告げた言葉は、24節に「神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです」とあるように、パウロだけでなく全ての人の救出を約束するものでした。
この「あなたにお与えになった」という言い方は、パウロが乗船している全ての人のために執り成しの祈りをしていたのであり、神がその祈りに応えてくださったということを意味しています。
パウロは旅は沢山してきましたが、船乗りではありません。彼の自信は経験から来るものでも、何らかの知識によるものでもありません。その自信、人を励ます力は、2週間近くも暴風雨にさらされ極限状態の中にあっても、助けてくださる神への信頼に基づいていました。
適用 取るべき道
私たちがパウロの航海での様子から何を学ぶかについては注意深くある必要があると思います。
航海士や船長の判断を差し置いて、航海の危険を警告したパウロですが、私たちがその真似をして、専門家の意見を無視した意見を言うことにはよほどの注意が必要です。
ましてや未信者の意見よりクリスチャンの信仰に基づく判断の方が正しいという考え方には、本来の信仰とは無関係な独善性が潜んでいる場合があることに気づかなければならないでしょう。
あるいは、何の根拠もなしに「みんなが助かる」などと言うことにも無責任にならないよう気をつけるべきです。
しかしもちろん、この冒険物語のような出来事の中でのパウロの姿から学ぶべきことはあります。
第一に、神への信頼です。神は私たちを永遠のほろびから救い出してくださるだけでなく、今現在のぎりぎりのところでの必要にも応えてくださる方です。
私たちには御使いがつかわされることはないかもしれませんが、主ご自身の約束の言葉がすでに聖書の中に与えられています。
神の許しなしにはスズメの一羽、髪の毛一筋さえ失われることはないし、試練とともに脱出の道を備えていてくださるのが私たちの信じる神なのです。
第二に、ともに嵐の中にいる人たちのために執り成し、祈ることです。
パウロは船員ではありませんから、船の中ではあまり役に立たなかったかもしれません。しかし、彼はアブラハムが今や滅びようとしているソドムの町の人々のためにとりなしたように、同じ船に乗っている人たちのために祈りました。何か特別なつながりがあったわけでも、信仰の仲間であったわけでもありません。
共通点は同じ船に乗り、同じ嵐で苦しんでいるというだけです。しかしたったそれだけで執り成しの祈りを捧げるのには十分な理由になるのです。
「聖歌」で育った世代のクリスチャンの多くが、好きな曲として『人生の海の嵐に』を挙げます。それぞれがこの歌を歌いながら、自分の生活に起こる様々な試練を重ね合わせ、神に信頼して平安を取り戻したいと祈ります。
しかし、この歌は自分のことしか歌っていないことに注意し、個人的なものとしてでなく、同じく困難に陥っている他の人たち、とりわけ神を知らず希望を持てずにいる人たちのために祈ることを忘れてはいけません。
自分と神との関係の中だけで平安を得ることは決して神の御心ではありません。聖書がパウロの姿を通して私たちに示すのは、パウロが神に絶対の信頼を置いて人々を励ます姿ですが、その背後には嵐の中で必死に嵐と戦っている人たちのために祈ったパウロがいたことを覚えましょう。
人生の嵐と言える時、必ず助けを差し伸べてくださる神を信頼し、周りの人たちのために祈る者でありましょう。
祈り
「天の神様。
私たちが人生という旅路において、嵐に見舞われるようなとき、波の大きさや風の音の大きさに惑わされることなく、助けを差し伸べてくださると約束されたあなたを信頼する者としてください。
そして、だれもが必死になる状況ですが、主を知る私たちまでが自分のことで精一杯にならず、主に信頼するが故に周りの人たちのために祈る者とならせてください。
あなたの御心は、私たちだけが希望と平安を持つことではなく、あなたを知らない人々も希望を持てるようになることだからです。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。」
(C)Masaki Sasaki
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